 
「リサイタルを終えて」
1930年に生まれ、5歳からピアノを習い始めました。高等女学校時代は戦時中で、学生でも3年生から勤労動員で軍需工場に通い、作業をする毎日でした。学校で勉強はできなかったものの、週1回のピアノのレッスンは欠かさず続けていました。本土に敵機襲来が日常になった時、レッスンの途中に警戒警報が発令されると、家へ走り帰って防空壕に入るという日も度々でした。このような昔の出来事を思い出しながら、83歳になるまでリサイタルが出来るなど、長かったようでもあり、またいつの間にか今日が来てしまったという思いもあります。
6年前に「喜寿を越えた今、弾き残してきた曲に想いを込めて」というタイトルでリサイタルを開きましたが、だんだんと人生も残り少ないので、その時弾けなかった曲や今弾いてみたい楽譜を広げ、音にしているうちにリサイタル当日を迎えました。初めてのイシハラホール、今までのいずみホールより客席が近く感じて、ステージに出てみるとお知り合いのお顔ばかり見えました。始めは少し固くなってしまいましたが、暖かい雰囲気で拍手が応援して下さっているようで心強く感じました。途中から精一杯音楽に入り込もうと思い弾きました。アンコールのリスト「コンソレーション」と「トロイメライ」を弾いた時、涙を浮かべて聴いて下さった方もあると聞き、有難く思いました。皆様方からお励ましやお力添えを頂き、終えることが出来て、大変感謝しております。
内田゚子(2013年11月17日イシハラホール)
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<Tのつぶやき>
2013年11月17日(日)イシハラホール
内田゚子ピアノリサイタル
内田゚子83歳!リスト超絶。
もうね、存在が超絶ですわ。
あとひと月で閉まるイシハラホール。最前列かぶりつき席で間近に見る勇姿。
グレーのロングドレスに銀靴で、颯爽とスタインウェイに向かう。
もちろん暗譜。
チャラ弾きの対極、細部まで意識が行き届いたガッチリ骨太の演奏。
絶妙なニュアンスで弾かれた、リスト回想の細かいフィギュレーションも「全部」聴こえる。
オブリガートとか、隠し味的音型ばかり狙ったようなひねくれた聴き方をしても、ちゃんと弾かれてるのだ。
その上に朗々とフレーズが歌う王道。
当たり前だ。
第19回日本音コン1位特賞(1950)。
え?紘子先生?1959年優勝ですよん。野島先生?1963年優勝。
どれだけ前か・・・優勝はなんと63年前、で「現役」。
ピアノ協奏曲では、ラフ2、チャイコ1、ベト3、5、ブラームス2、フランク交響変奏曲からサンサーンス2、4まで、オケを突き抜けて音が飛ぶ豪快なピアニズム。
今日もいい鳴りだし、人間が出るのだな。邪(よこしま)な人間にはこんな風に弾けない。
曖昧さや誤魔化しのない正々堂々のピアノ。
昔見たモーラ・リンパニーの演奏を思い出した。
まさにデイム、女王の風格と言える。
後半は圧巻のリスト。愛の夢は珍しい3曲セットだし、超絶の9、10の豊潤な響きは何と言ったらいいのだろう。
積み上げられた高い技巧と情熱に圧倒される。
アンコールは、慰め3、トロイメライ。
ご高齢演奏会にありがちな応援モード?とんでもない。本物の芸術を目の当たりにする贅沢、まだまだイケそうだ。
余韻の残る、極上のひとときを堪能。
なおプログラムノートも本人。前半の月光は、11年前に亡くなったご主人が、休日に弾き始めるのがいつもこの1楽章だったらしい。
それで弾かないでそっとしていて、亡くなって随分経ってようやく取り組んだそうだ。
ちなみに今日のリサイタルの副題は「回想」である。 |