-----------------------------------訃報--------------------------------

  2/24  粟飯原眞さんご逝去

天満宮の梅の花も満開のものもあれば、散り行こうとしているものもあり、儚い想いで一杯です。

昨秋から中咽頭癌で入退院を繰り返しておられたのですが、平成22年2月24日1時45分、永眠されました粟飯原眞氏(享年77歳)の告別式(2月26 日)・・・。準備の時の写真しかとれず、気がついたら終わってしまって、式の最中はとても気が回りませんでした。



粟飯原さんとは産経新聞ご退職後(ご在職中はよく叱られてました・・・)から、一緒にバリ島やボルネオ島、屋久島、奄美大島など南の島から、毎年のように四国旅行を繰り返すご縁で、遠方のご妹弟にも四国のうどんの話だけはとても楽しくされていたご様子でした。前夜式の前に「いつもお世話になっていました大阪アーティスト協会です。」とご挨拶するやいなや、「あのうどんツアーの!」というくらいでした。妹さんはお顔といい、タバコを吸う仕草といい、粋なしゃべくりといい、眞さんそっくりで本当にびっくりさせられました。

・・・昨年11月9日、粟飯原さんのお誕生日。これまで数度となく行っている様子伺いのお電話です。お誕生日おめでとう!調子はどない?「医者もちゃんと声が出てるからびっくりしてる。みんなには内緒やで。そこの事務所から近い病院や。ハハッ。」とだけ教えてくれました。ほな、喉にいい魔法のお水(和歌山の湯の峰温泉水)贈ったげるね。四国ツアーまでには治してよ〜。「よっしゃ。」

12月に入ってまた様子伺いです。温泉ちゃんと飲んだ?「そんなもん、すぐなくなったわ。」そっか堪忍、でもちょっと声かすれて来たなぁ。。。ところで四国ツアー やけど、来年2月7日になったよ、どないする?「今回はちょっと無理やなぁ。体重も48kgや。」げっ!私と同じやったのに18kgも減ったん?私の肉なんぼでもあげるで〜。また元気になったらどっか行こね。頑張ってや。「うん、でもそろそろ仕事も誰かに頼まなあかんわ。嶋田くんぐらいかなぁ、お願いできそうなんわ。」そやね。実は嶋田さん心筋梗塞で入院してはったけど、奇跡的にすぐ良くなったみたいで、この前お会いしたら元気そうでホッとしたわ。私からも伝えとくね。「そうやったんか、また連絡してみるわ。」(実際、1月に連絡され、いろいろ引き継がれたようでした。)

2月7日四国ツアーの途中、何かお土産はいらないかなと電話しました。その時は電話に出られなかったので、少し具合が悪くなっているのかなと気になっていました。




また様子見て電話しようと気になりながらも、2月24日の朝、私は妙な胸騒ぎで目覚め、今日は声を聞かな!と、いずみホールのリハーサル立会い後、京橋まで歩きながら電話を掛けました。なかなか出ない・・・。「もしもし」 よかった〜声出てるやん。「弟の滋です。」 え?いやな予感・・・。「兄は今朝亡くなりました。」・・・ちょうどお式の段取りを決めようとしているところだったようです。ご存知の通りダンディーを絵に描いたような方でしたので、家族葬で ということだったらしいのですが、そんな寂しいことは私がさせません!という気持ちで一杯でした。半泣きながらも弟さんに懇願し、規模を変えて頂くようお願いしました。産経新聞社の窓口の方を教えて頂き、すぐに対応させて頂くことになった次第です。きっと私に電話をさせたのも粟飯原さんご自身からだと勝手に思い込んでいますが、どれだけ多くの音楽関係者がお世話になったかと思うと測り知れない限りです。

式の当日、ご参列者は音楽関係の方がほとんどで、たくさんのお花に包まれ150名の皆さまとお別れすることができました。また、産経新聞の関係者のみならず、他の新聞社の音楽担当者がたくさん参列されたことからも、若手記者の方々にもいろいろと面倒をみてこられたことが窺えます。これほど長く音楽・文化担当を全うされた新聞記者は他紙でも例を見ず、関西のクラシック音楽界にはなくてはならない存在を失うこととなり、本当に残念な思いで一杯です。天国にいっても、ずっと関西の音楽界を見守っていて下さいね。

西村典子

粟飯原眞氏プロフィール

閉じる